伊豆大島・椿まつりの歴史|1956年の始まりと昭和の島の物語
70年を超えて受け継がれる、椿と人々がつないだ島の記憶。
はじめに|椿まつりには、花の向こうに歴史がある
冬から春にかけて、伊豆大島を彩る「椿まつり」。
島に咲く椿を楽しむ、伊豆大島を代表するイベントです。
けれど、このお祭りがいつ始まり、どのように島の文化として受け継がれてきたのか、ご存じでしょうか。
始まりは、今から70年前の1956年。
その後、伊豆大島は昭和の離島観光ブームを迎え、椿とアンコさんが島の象徴として広く知られるようになりました。
今回は、花の見頃やイベント情報だけでは分からない、椿まつりの歴史と、島の人々が育んできた文化をたどります。
① 1956年、伊豆大島で第1回椿まつりが開かれた
伊豆大島椿まつりが初めて開催されたのは、**1956年(昭和31年)**のことです。
大島町の公式年表には、同年2月に第1回椿まつりが開催され、3月11日まで続いたことが記録されています。
実は、その前年の1955年には、伊豆大島にとって大きな出来事がありました。
それまで島内にあった元村・岡田村・泉津村・野増村・差木地村・波浮港村の6村が合併し、現在の大島町が誕生したのです。
さらに同年10月には大島飛行場が開場し、東京と大島を結ぶ定期航空便も始まりました。
そんな変化の時代に、椿まつりは最初の一歩を踏み出しました。
ただし、第1回を誰が発案し、どのような催しが行われたのかは、今回の公式年表だけでは分かりません。
町の誕生を記念して始まったと断定することもできません。
確かなのは、1956年に始まった椿まつりが、長い年月を経て、現在も伊豆大島を代表する行事として親しまれていることです。
では、数ある島の植物の中で、なぜ椿が祭りの主役になったのでしょうか。
その背景には、観光よりもずっと前から続いてきた、椿と島民の暮らしの関係がありました。
② なぜ椿が祭りの主役に?島の暮らしとの深い関係
伊豆大島には、推定約300万本のヤブツバキが自生しているといわれています。
椿は大島町の「木」であり、「花」でもある、島を象徴する植物です。
しかし、昔から椿が大切にされてきた理由は、花の美しさだけではありません。
伊豆大島では、冬を中心に強い季節風が吹きます。
島民は、その風から家や畑を守るため、椿を防風林として利用してきました。
さらに、種子からは椿油を採り、太く育った枝や木は薪や炭の材料として活用されてきました。
花を楽しむだけでなく、生活を守り、日々の暮らしを支える木でもあったのです。
椿まつりが始まる以前から、椿は島の風景と生活に深く根づいていました。
伊豆大島の椿は、観光のためだけに存在していた花ではなかったのです。
こうした暮らしに身近な植物が、やがて島を代表する観光の象徴にもなっていきました。
なぜ伊豆大島にこれほど多くの椿が育つのか。その理由には、島の気候や火山がつくった土地も関係しています。
【伊豆大島に椿が多い理由を自然・火山・暮らしから深掘りする】
③ 昭和の観光ブーム|椿とアンコさんが彩った伊豆大島
椿まつりが始まってから、伊豆大島は大きな観光の時代を迎えます。
それが、昭和40年代の離島観光ブームです。
年間84万人もの観光客が訪れた時代
大島町長が2025年の椿まつり70周年に寄せたメッセージには、昭和40年代の離島ブームを背景に、年間来島者が84万人に達した年もあったことが記されています。
これは椿まつりだけの来場者数ではなく、伊豆大島全体を訪れた年間の人数です。
当時、伊豆大島は多くの人が訪れる観光地として知られていました。
その魅力を伝える存在として広まったのが、椿、アンコさん、そして三原山でした。
火山の雄大な景色を楽しみ、島に咲く椿を眺め、島ならではの文化に触れる。
伊豆大島には、今とはまた違った観光のにぎわいがあったのです。
アンコさんは、もともと島の暮らしを支える存在だった
昭和の伊豆大島を語るうえで欠かせないのが「アンコさん」です。
アンコとは、もともと島の言葉で姉や年上の女性を親しみを込めて呼ぶ言葉でした。
絣の着物に前垂れを締め、頭に手ぬぐいを被る姿は、今では島を象徴する伝統的な装いとして知られています。
しかし、この衣装も最初から観光客を迎えるためにつくられたものではありません。
かつての島では、女性たちが水汲みや薪の運搬など、日々の生活に欠かせない仕事を担っていました。
アンコさんの装いは、そうした厳しい島の暮らしの中から生まれた仕事着だったのです。
やがて観光が盛んになると、アンコさん姿の女性たちは旅館や観光の場でも活躍し、伊豆大島を訪れる人々を迎える存在として知られるようになりました。

こうして、島の自然を象徴する椿と、島の暮らしを支えてきたアンコさんは、観光文化とも深く結びついていきました。
そして当時の港や旅館には、観光客を迎える人々のさまざまな思い出が残されています。
中でも興味深いのが、アンコさん姿で販売されていた椿の実のアクセサリーです。
次の章では、実際にその制作と販売に携わった女性の証言を通じて、昭和の伊豆大島のにぎわいをもう少し近くからたどります。
④ アンコさんと椿の実|港に残るお土産の記憶
椿まつりの歴史を、人々の仕事から見つめると、港で観光客を迎えたアンコさんの姿が浮かびます。
大島観光協会の70周年特設サイトには、2017年に取材され、2025年に再掲載された柳瀬美恵子さんの話が残っています。
神津島出身の柳瀬さんは、乗った船が荒天のため大島止まりとなったことをきっかけに島に滞在し、旅館で働くようになりました。
旅館ではアンコさん姿の女性たちが、朝早く着く船を提灯の明かりで迎えていたそうです。
やがて柳瀬さんは、椿の実に色をつけ、名前を彫ったアクセサリーをつくり、元町港や岡田港で販売しました。
帰りの船を待つ列に、品物を籠に入れて売り歩くこともあったといいます。
旅館での出迎え、港での手仕事、観光客との会話。
そこには、花を見るだけでは分からない島の観光の歴史があります。

これは一人の証言ですが、昭和のにぎわいを今に伝える貴重な記録です。
2025年の掲載時点で柳瀬さんは販売を引退しており、当時と同じ販売風景が現在も続いているわけではありません。
【アンコさんと椿の実のアクセサリーにまつわる当時の記録を読む】
⑤ 世界に認められた椿園と、受け継がれる祭り
椿まつりの歴史が積み重なる一方、島の椿園も国際的に評価されてきました。
2016年2月26日、都立大島公園、大島高校、椿花ガーデンの3園が、国際ツバキ協会による「国際優秀つばき園」に認定されました。
評価されたのは祭りそのものではなく、椿園の品種や管理、継続的な取り組みです。
3つの園の魅力は、それぞれ異なります。
大島公園は、多彩な園芸品種とヤブツバキを楽しめる大規模な椿園。
大島高校は、生徒の栽培実習や学びに椿を生かし、教育機関として世界初の認定例となりました。
椿花ガーデンは、早咲きの椿と眺望を楽しめる場所として評価されています。

そして2025年、椿まつりは第70回という節目を迎え、**「椿とめぐる風土」**をテーマに開催されました。
花の美しさだけでなく、防風林や椿油など、島民の暮らしと結びついた椿の物語にも光を当てる機会となりました。
島の生活に根づいた植物が、観光を彩り、世界に認められる園芸文化へつながっているのです。
⑥ 歴史を知ってから、今の椿まつりを楽しむ
では、歴史を知った今、椿まつりをどのように楽しめばよいのでしょうか。
最初の候補は大島公園の椿園。
色や形の異なる花を見比べながら、島の風土と人々が育ててきた椿の文化を感じてみてください。
2027年の第72回椿まつりは、1月31日から3月28日までの開催予定です。
ただし、イベントの日程と実際の開花時期は同じではありません。
訪れる前に公式の開催情報と開花状況を確認しましょう。
椿を知る旅は、花を見る時間だけでは終わりません。
港の景色、島の暮らし、椿油のお土産にも、歴史の続きを見つけられるはずです。
【冬の伊豆大島の服装・観光スポット・モデルコースを確認する】
まとめ|椿まつりは、島の記憶を未来へつなぐ
1956年の第1回から続く椿まつりには、島の暮らし、昭和の観光ブーム、アンコさんの仕事、椿を育ててきた人々の思いが重なっています。
次に伊豆大島を訪れるときは、咲いている花だけでなく、その背景にある時間にも目を向けてみてください。
椿まつりは、島の記憶を今へつないでいるのです。
椿の歴史を知ったら、次は伊豆大島へ。
1956年から続く椿まつり。
歴史を知ってから訪れると、椿園や島の風景も、これまでとは少し違って見えてくるかもしれません。
椿まつりの時期に大島公園や島内の観光スポットを巡るなら、レンタカーでの移動も便利です。
blissレンタカーでは、ガソリン代・免責補償込みの料金プランをご用意しています。
旅行の日程や島内の移動方法についてのご相談も承っています。
▶ bliss公式LINEで旅行・レンタカーについて相談する
blissレンタカー|思い出の傍に。— beside your memories.
