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波浮港はなぜ丸い?火口湖から港町へ変わった約1200年の歴史を深掘り

波浮港はなぜ丸い?火口湖から港町へ変わった約1200年の歴史を深掘り

2026.08.22伊豆大島深掘り伊豆大島波浮港波浮港見晴台伊豆大島観光伊豆大島ジオパーク火山マール伊豆大島歴史執筆:株式会社bliss(レンタカー事業)

波浮港はなぜ丸い?火口湖から港町へ変わった歴史を深掘り

はじめに|この丸い港、実は「火口」だった

伊豆大島の南部にある波浮港(はぶみなと)

波浮港見晴台から眺めると、丸みを帯びた港を囲むように町が広がり、その向こうには海が見えます。

現在は静かで、どこか懐かしい雰囲気が残る港町です。

でも、この景色を見ていて、

「なんでこんなに丸いんだろう?」

と思ったことはありませんか?

実はこの丸い形。

人間が港をつくるために丸く掘ったわけではありません。

もともとここにあったのは、

港ですらありませんでした。

その正体は、

火山の噴火によってできた「火口」。

そして、その火口に水がたまり、かつては**「波浮の池」**と呼ばれる火口湖になっていました。

そこへ大地震と津波が起こり、

海とつながり、

さらに人間が手を加えることで、

現在の波浮港へと変わっていきます。

つまり波浮港は、

火山がつくり、津波が海とつなぎ、人が港にした場所。

今回は観光スポットとしての波浮港ではなく、

「なぜ、ここに港があるのか?」

その約1200年にわたる物語を深掘りしていきましょう。


まず答え|波浮港が丸いのは「火口」だから

最初に、「なぜ波浮港は丸いの?」への答えを出してしまいましょう。

波浮港が丸い理由は、もともと火山の火口だったからです。

伊豆大島ジオパークによると、波浮港の原型となった火口は、9世紀初めごろに起きたマグマ水蒸気噴火によって形成されたと考えられています。

現在から考えると、およそ1200年前です。

もちろん当時、

港はありません。

町もありません。

船も停泊していません。

そこにあったのは、噴火によって大地に開いた大きな火口でした。

現在私たちが見晴台から眺めている港の輪郭は、

約1200年前の火山活動がつくった地形

なのです。


波浮港をつくった「マグマ水蒸気噴火」とは?

ここで少しだけ火山の話をしましょう。

波浮港の原型をつくったのは、

マグマ水蒸気噴火

と呼ばれるタイプの噴火です。

名前だけ聞くと少し難しそうですが、イメージはシンプルです。

地下から上がってきた高温のマグマが、地下水などの水と接触する。

すると水が急激に熱せられ、大量の水蒸気になります。

そして、

ドン!

と爆発的な噴火が起こります。

このような噴火では、大きく地面をえぐるような火口が形成されることがあります。

波浮港の原型となった火口も、そのようにして生まれました。


丸くて低い火口「マール」

こうしてできる、比較的浅く広い火口地形を**「マール」**と呼びます。

波浮港も、そのマールのひとつです。

つまり現在、

港を囲んでいる高い地形。

その内側にある水面。

見晴台から見える丸い輪郭。

これらを、

「港の形」ではなく「火口の形」

として見てみると、景色の印象が一気に変わります。

「きれいな港だな。」

から、

「自分はいま、巨大な火口を見下ろしているんだ。」

になるわけです。

これが、波浮港を深掘りしてから訪れる一番面白いポイントかもしれません。


本当に約1200年前?地層から分かった波浮港の年齢

では、なぜこの火口が約1200年前にできたと分かるのでしょうか。

ここにも伊豆大島らしい面白さがあります。

地層です。

波浮港周辺には、噴火によって飛ばされた岩石などが堆積しています。

そして、その上には838年に神津島・天上山で起きた噴火による火山灰が確認されています。

つまり、

波浮港をつくった噴火の堆積物

その上に838年の火山灰

という順番です。

地層は基本的に、下にあるものほど古く、上にあるものほど新しくなります。

そのため、

「波浮港をつくった噴火は838年より前に起きた」

と読み取れるわけです。

こうした調査から、現在では9世紀初めごろの噴火だったと考えられています。


「838年に波浮港ができた」と書かれていることもあるけれど…

波浮港について調べると、

「838年の噴火によってできた」

という説明を目にすることがあります。

しかし、より詳しい伊豆大島ジオパークの地質解説では、先ほど紹介したように、838年の神津島由来の火山灰が波浮港をつくった噴出物のに確認されています。

そのため今回の記事では、

「9世紀初めごろの噴火によって形成された」

という表現で統一します。

深掘りシリーズでは、こうした細かなところもできるだけ正確に伝えていきたいと思います。


噴火が終わったあと、火口は「池」になった

巨大な火口ができたあと。

そこへ水がたまりました。

こうして誕生したのが、

「波浮の池」

です。

現在の波浮港からは想像しにくいですが、

かつてここには海と切り離された火口湖がありました。

港でもない。

海でもない。

火山によって生まれた丸い窪地に、水がたまった場所。

それが波浮港の次の姿でした。

そして、この「池の時代」は非常に長く続きます。


約900年間、「港」ではなかった

ここは時間の長さを感じてほしいところです。

火口ができたのが9世紀初めごろ。

そして大きな転機が訪れるのが、

1703年。

つまり単純計算でも、

約900年。

現在の波浮港にあたる場所は、長い間「港」ではありませんでした。

私たちは現在の景色を知っているので、

「ここに港があるのは当然」

のように感じます。

でも島の歴史全体で見ると、

火口だった時間、池だった時間の方がはるかに長い

のです。


1703年、波浮の池を変えた「元禄地震」

そして1703年。

波浮の池の歴史を大きく変える出来事が起こります。

元禄地震です。

関東地方から伊豆諸島周辺に大きな被害をもたらした巨大地震で、伊豆大島にも津波が押し寄せました。

その津波が、

波浮の池と海を隔てていた火口壁の一部を削った

とされています。

閉じられていた火口湖に、海への入口ができたのです。

ここで初めて、

火口湖だった場所と太平洋がつながります。


火山がつくり、津波が海とつないだ

ここまでだけでも、波浮港の成り立ちはかなりドラマチックです。

最初に、

火山が噴火して火口をつくる。

火口に水がたまり、池になる。

約900年後、

巨大地震による津波が火口壁を削る。

池と海がつながる。

人間が港をつくろうと計画したわけではありません。

自然の出来事が重なった結果、

現在の港につながる条件が少しずつ整っていったのです。

しかし、

ここでひとつ重要なポイントがあります。

1703年に「波浮港」が完成したわけではありません。


海とはつながった。でも、まだ「港」ではなかった

元禄地震の津波によって海とつながった波浮の池。

ただし、その入口はまだ狭く浅い状態でした。

満潮時などには小舟が出入りできたとされていますが、大きな船が自由に出入りできる現在のような港ではありません。

それでも、

外海が荒れているときなどに船が入り、

日和待ち・風待ちをする場所

として利用されるようになっていきました。

ここで人々は気づき始めます。

この場所は、

船を守る場所として使えるのではないか。

なぜなら波浮の池は、もともと火口です。

周囲を高い火口壁に囲まれています。

外海から入ってしまえば、

周囲の地形そのものが風を遮ってくれる。

偶然生まれた火口地形が、

船にとって非常に都合のいい形をしていたのです。


火口壁が「天然の防風壁」になった

波浮港を上から見ると、港が陸地の奥へ入り込んでいることが分かります。

そして周囲には、高い地形があります。

現在は「波浮港らしい景色」の一部ですが、

船乗りたちにとっては、

風や波から船を守ってくれる天然の壁

でした。

つまり、

約900年前にはただの火口壁だった地形が、

海とつながった瞬間、

「港として使える地形」

に意味を変えたのです。

火山が港をつくろうとして火口をつくったわけではありません。

でも結果的に、

火山が残した地形が、人間にとって非常に価値のある場所になった。

ここに波浮港の面白さがあります。


そして、この場所の可能性に気づいた人物がいた

海とはつながった。

船が風を避ける場所としても使える。

でも入口が狭く浅いため、本格的な港として利用するには不十分。

そんな波浮の池を見て、

「ここをもっと広げれば、立派な港になる。」

と考えた人物がいました。

その人物が、

秋廣平六(あきひろ へいろく)

です。

1790年。

平六は幕府による伊豆諸島の薬草調査に同行し、伊豆大島を訪れました。

そこで波浮の池を目にします。

すでに海とはつながっている。

周囲は高い地形に囲まれている。

でも入口が狭い。

ならば、

この入口を広げれば、船が安全に停泊できる港になるのではないか。

平六は、波浮の地形が持つ可能性に目をつけました。


「自然がつくった場所」を、人が使えるようにする

ここが今回の記事で特に面白い部分です。

波浮港は、

完全な天然港でもありません。

かといって、

人間がゼロから掘った人工港でもありません。

火山が火口をつくった。

津波が海とつないだ。

そして、

最後に人間が手を加えた。

自然が偶然つくった地形を見て、

「ここなら港にできる」

と人間が考えた。

この組み合わせによって、波浮港は誕生します。


幕府へ願い出て、港を開く

秋廣平六は、波浮の池を港として利用するため、幕府へ開削を願い出ます。

そして工事が行われました。

伊豆大島ジオパーク関連資料では、

総工費:約980両

延べ人員:約12,000人

工期:約5か月

という規模だったとされています。

現在の重機がある時代ではありません。

人の力を中心に、港口に残っていた岩などを取り除いていきます。

そして、

1800年。

波浮の池は、本格的に船が出入りできる**「波浮港」**へと生まれ変わりました。


火口が「港」になるまで、約1000年

改めて時間を並べてみると、その壮大さが分かります。

9世紀初めごろ

マグマ水蒸気噴火が発生。

大きな火口が形成される。

水がたまり、

「波浮の池」になる。

1703年

元禄地震による津波で火口壁の一部が削られ、

海とつながる。

船が風待ちなどに利用するようになる。

1790年

秋廣平六が波浮の池に着目。

幕府へ開削を願い出る。

1800年

港口が整備され、

波浮港が誕生。

火口が生まれてから、人間が港として完成させるまで。

およそ1000年です。


波浮港は「火山と人間の合作」

前回の深掘りシリーズでは、

裏砂漠がなぜ生まれたのか。

伊豆大島になぜ椿が多いのか。

を紹介してきました。

そして波浮港もまた、

火山島・伊豆大島だからこそ生まれた景色です。

ただ、これまでと少し違うのは、

人間が自然の地形を見て、

「この場所を使おう」

と考えたこと。

火山が火口をつくる。

津波が海とつなぐ。

人が港にする。

だから波浮港は、

自然だけがつくった景色でも、人間だけがつくった町でもありません。

言ってみれば、

「火山と人間の合作」

なのです。


そして「港」ができると、人が集まり始めた

1800年に波浮港が開かれると、

この場所の歴史は再び大きく動き始めます。

船が入る。

魚が集まる。

人が集まる。

商売が生まれる。

宿ができる。

町が発展する。

そして波浮港は、単なる**「船を停める場所」**ではなくなっていきます。

特に重要だったのが、

漁業。

伊豆大島の南には、海底火山がつくった豊かな漁場があります。

その魚と波浮港が結びつき、

やがて全国から漁船が集まるほどの港へ成長していきます。

さらにそこから、

くさや。

港町文化。

旅館。

『伊豆の踊子』。

歌曲『波浮の港』。

さまざまな伊豆大島の文化へとつながっていきます。

現在の静かな波浮港からは想像しにくいですが、

かつてこの場所には、

港を埋め尽くすほどの漁船と、多くの人々が集まっていました。

後半では、

「火口から生まれた港が、どうやってひとつの町と文化をつくったのか」

さらに時間を進めながら、波浮港の歴史を追っていきましょう。


人と物が集まり始めた

1800年に波浮港が開かれると、それまでとはまったく違う時間が流れ始めます。

船が入る。

人が降りる。

魚が運び込まれる。

物資が集まる。

そして、そこに仕事が生まれる。

波浮港は単なる「船を停める場所」から、少しずつ人と物が集まる拠点へと変わっていきました。

前半で紹介したように、波浮港はもともと火口です。

周囲を高い地形に囲まれているため、海とつながったあとにはその火口壁が天然の防風壁として働きました。

この特徴によって、波浮港は船が風や海況の回復を待つ風待ち・日和待ちの港として重宝されるようになります。

火山が偶然残した地形が、人間にとって非常に使いやすい港になったのです。


なぜ波浮港にはたくさんの漁船が集まった?

波浮港がさらに発展していくうえで欠かせなかったのが、漁業です。

伊豆大島の南方には、「大室ダシ」と呼ばれる浅い海域があります。

海底火山の高まりによってできた地形で、海流の影響を受けることで魚が集まりやすい好漁場として知られてきました。

その周辺では、

  • ムロアジ

  • トビウオ

  • アジ

  • サバ

  • カツオ

  • マグロ

など、さまざまな魚が漁獲されました。

そして、その魚を扱う拠点として波浮港の重要性が高まっていきます。

つまり、

「良い港があった」だけではなく、「良い漁場が近くにあった」

ことも、波浮港が発展した大きな理由です。


波浮港は「漁業の中継基地」へ

漁船が集まれば、当然そこでは魚の水揚げや加工、物資の補給なども必要になります。

波浮港には全国各地から漁船が集まり、やがて漁業の中継基地として大きく発展していきました。

特に1950年代ごろには、港を埋め尽くすほどの漁船が集まったと伝えられています。

現在の波浮港を訪れると、

静かな水面。

ゆっくりとした港町。

そんな印象を受ける方が多いと思います。

でも、かつてこの場所には、

多くの船と人が行き交い、魚が運び込まれ、活気に満ちた時間が流れていました。

今の静けさと、昔の賑わい。

その差を想像すると、波浮港の景色が少し違って見えてきます。


魚が集まれば「加工する文化」も育つ

波浮港に魚が集まるようになると、その魚をそのまま運ぶだけではなく、保存したり加工したりする産業も発展します。

ここで伊豆諸島を代表する食文化のひとつ、

くさや

とのつながりが見えてきます。

くさやは、ムロアジなどの魚を発酵した「くさや液」に漬け込み、干して作る保存食です。

もともと伊豆諸島に伝わる食文化ですが、波浮港が開港し、水産業の中心がこの地域へ移っていくなかで、くさやづくりも波浮港周辺へと広がっていきました。

つまり、波浮港の歴史は、

港の歴史だけではなく、伊豆大島の食文化の歴史にもつながっている

のです。


漁業の変化が、くさや文化にも影響した

時代が進むと、漁船は大型化・高速化していきます。

すると、わざわざ波浮港で魚を降ろさなくても、本土まで直接運べるようになっていきました。

その結果、波浮港での水揚げは次第に減少。

かつて鰹節や鯖節などの水産加工を行っていた事業者の中には、くさや製造へと軸足を移していったところもありました。

ここにも、島の暮らしの柔軟さが見えます。

時代が変わる。

漁業の形が変わる。

それでも、その場所にある技術や文化を別の形で残していく。

現在私たちが「伊豆大島名物」として知るくさやの背景にも、港町の変化があります。

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港ができたから、町ができた

船と魚が集まり、人が行き交うようになれば、そこには暮らしが生まれます。

宿泊する場所。

食事をする場所。

商品を売る場所。

魚を加工する場所。

人々が住む家。

そして、娯楽や交流の場。

こうして波浮港の周囲には、港を中心とした町が形成されていきました。

現在、波浮港を歩くと目に入る、

坂道。

石垣。

昔ながらの建物。

細い路地。

それらは、単に「レトロ風につくられた観光地」ではありません。

港が栄えた時代に、人々が実際に暮らしていた町の名残

なのです。


なぜ波浮港の町は坂道が多い?

波浮港を歩いたことがある方なら、

「坂が多いな」

と感じたことがあると思います。

これも、もともと火口だったことと関係しています。

港は火口の底に近い低い場所。

その周囲には火口壁にあたる高い地形があります。

そのため、港から町の上部へ移動するには自然と坂道が必要になります。

つまり、

波浮港の坂道も、火山地形の上につくられた町だからこその景観

です。

港の丸さだけでなく、町の高低差まで火山の歴史につながっています。


旧甚の丸邸|港町の賑わいを伝える場所

波浮港には、かつての町の繁栄を伝える建物が残っています。

そのひとつが旧甚の丸邸です。

明治期の波浮港地区では、周辺が政治・経済の中心地として機能していました。

現在の静かな住宅地を歩いていると想像しにくいかもしれませんが、

かつてこのあたりには、

人が集まり、

商売が行われ、

港町の重要な決定がなされる。

そんな時代がありました。

建物を見るときも、

「古い家だな」

だけではなく、

「ここが、かつて港町の中心だった」

と想像してみてください。


旧港屋旅館と『伊豆の踊子』

そして波浮港を語るうえで外せないのが、

『伊豆の踊子』

との関係です。

川端康成の小説『伊豆の踊子』のモデルとなった旅芸人一座は、大島滞在中に波浮港周辺でも活動していたとされています。

旧港屋旅館では演芸が披露され、旧甚の丸邸などへ呼ばれることもありました。

現在、大島町では旧港屋旅館と旧甚の丸邸を**「波浮港踊子の里」**として保存しています。

つまり波浮港は、

漁業の町だっただけではありません。

旅人。

芸人。

商人。

漁師。

さまざまな人が行き交うことで、文化も生まれた町だったのです。


1928年、「波浮の港」が全国へ広がった

波浮港を全国的に有名にした大きな出来事がもうひとつあります。

1928年。

野口雨情作詞、中山晋平作曲の歌曲、

『波浮の港』

が大ヒットしました。

これによって、「波浮」という地名は島の外にも広く知られるようになります。

現在ならSNSやテレビで観光地が一気に知られることがありますが、

当時は歌が、その役割を果たしました。

人々は歌を通して、

「伊豆大島に波浮港という場所がある」

ことを知ったのです。


「暮らしの港」から「物語のある港」へ

ここまで波浮港の歴史を追っていくと、場所の役割が少しずつ変化していることが分かります。

最初は火口。

その後、火口湖。

海とつながって船の避難場所となる。

人工的に開削されて港になる。

漁業で栄える。

町が形成される。

文学や音楽の舞台になる。

つまり波浮港は、

自然の地形が、人の暮らしによって何度も意味を変えてきた場所

なのです。


なぜ、あれほど栄えた港が今は静かなの?

現在の波浮港を訪れると、

「昔、本当にここがそんなに栄えていたの?」

と思うかもしれません。

その背景には、交通や漁業の変化があります。

船の性能が向上し、より遠くまで直接移動できるようになった。

魚も本土へ直接運べるようになった。

道路や交通手段も変わった。

すると、

「風を待つために港へ入る」

「ここで魚を水揚げする」

という波浮港の役割は、少しずつ小さくなっていきました。

港が衰退したというより、

時代が変わり、港に求められる役割が変わった

と考える方が近いかもしれません。


静かになったからこそ、昔の町並みが見えてくる

不思議なことに、

かつての活気が落ち着いたからこそ、今の波浮港には独特の魅力があります。

細い路地。

坂道。

古い建物。

静かな港。

昔から残る町の形。

現在では、それらが**「ノスタルジックな港町」**として旅行者を惹きつけています。

つまり、

昔は生活や仕事のために存在していた風景が、

現在は観光客にとって魅力ある景観になっている。

これもまた、場所の意味が時代によって変わった例です。


1986年噴火で、波浮港はもう一度重要な場所になった

そして波浮港には、現在も重要な役割があります。

1986年。

伊豆大島では三原山の大噴火が発生し、全島避難が行われました。

この経験をきっかけに、大島南部から島外へ避難するための港として、波浮港の岸壁などが整備されました。

現在も波浮港は、

地元の漁船が利用する港。

南方海域へ向かう船の避難港。

そして災害時には島民を守る役割を担う港。

として機能しています。


昔は「船を守る港」、今は「人も守る港」

ここは、波浮港の歴史を象徴するような部分です。

1800年に開港したころ、

波浮港の大きな役割は、

風や荒れた海から船を守ること

でした。

それから約200年。

現在は、

災害時に島民を守る港

という役割も持っています。

火山によって生まれた地形を人が港へ変え、

その港が現在も火山島で暮らす人々を支えている。

何とも伊豆大島らしい歴史ではないでしょうか。


波浮港へ行ったら、ここを意識して見てほしい

この記事を読んでから実際に波浮港へ行くなら、ぜひ次のポイントを意識してみてください。

① 見晴台から「丸さ」を見る

まずは港全体を見渡してください。

そして、

「これは港の形ではなく、火口の形なんだ」

と思い出してみてください。


② 港を囲む高い地形を見る

火口壁だった地形が、船を守る天然の防風壁になりました。

港の水面だけでなく、その周囲の高さにも注目してみてください。


③ 坂道を歩く

港から町へ続く坂道。

その高低差も、火口地形の上に町ができた証拠です。


④ 古い建物を見る

旧甚の丸邸や旧港屋旅館。

単に「昔の建物」として見るのではなく、

全国から船と人が集まった時代の町の一部

として見てみてください。


⑤ 今の静かな港を見ながら、昔の賑わいを想像する

現在の静かな景色の中に、

何十隻もの漁船。

魚を運ぶ人々。

旅館へ向かう旅人。

商売をする人。

そんな光景を重ねてみる。

それだけでも、波浮港の散策がずっと面白くなります。


「レトロな港町」で終わらせない旅へ

波浮港は、何も知らずに訪れても十分に魅力的です。

丸い港。

昔ながらの町並み。

坂道。

静かな空気。

写真を撮るだけでも、きっと旅の思い出になります。

でも、その景色の背景を少し知ってみると、

「レトロでいい場所だね。」

だけでは終わらなくなります。

約1200年前、火山が噴火した。

火口に水がたまった。

900年近く池だった。

1703年、津波によって海とつながった。

1800年、人の手で港になった。

漁船が集まった。

町ができた。

くさや文化が発展した。

文学と音楽の舞台になった。

そして現在も、島の暮らしを支える港として残っている。

このすべてが、

今、目の前にある一つの港につながっています。


実際に訪れるなら「波浮港完全ガイド」へ

この記事では、波浮港が生まれた理由と歴史を中心に紹介しました。

実際に観光する方は、

  • アクセス

  • 駐車場

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  • 滞在時間

  • 周辺観光

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などをまとめた**「波浮港完全ガイド」**もあわせてご覧ください。

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「どう観光する?」は完全ガイド。

「なぜここに港がある?」は今回の深掘り記事。

両方を読んでから歩けば、波浮港をもっと深く楽しめると思います。


まとめ|波浮港は「火山と人がつくった港町」

なぜ波浮港は丸いのか。

その答えは、

もともと火山の火口だったから。

です。

約1200年前の噴火によって火口ができ、

そこへ水がたまり、

長い間「波浮の池」と呼ばれる火口湖になりました。

1703年の元禄地震による津波で海とつながり、

1800年には秋廣平六らによる開削によって港として完成します。

そして、

火口壁は天然の防風壁となり、

船が集まり、

漁業が栄え、

町ができ、

くさや文化や文学・音楽などさまざまな文化が生まれました。

つまり波浮港は、

火山だけでできた場所ではありません。

人間だけでつくった港でもありません。

火山が地形をつくり、人がその地形を活かした。

その結果として生まれたのが、現在の波浮港です。

次に見晴台から港を眺めるとき。

ぜひ、

「この丸い形は約1200年前の火口なんだ。」

と思い出してみてください。

そして港町を歩きながら、

「ここには昔、どんな人たちが歩いていたんだろう?」

と想像してみてください。

それだけで、

波浮港は単なる観光スポットから、

伊豆大島の自然と人の歴史が重なった場所

へ変わって見えてくるはずです。


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