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伊豆大島の大島牛乳とは?一度消えた牛乳が5頭から復活するまで

伊豆大島の大島牛乳とは?一度消えた牛乳が5頭から復活するまで

2026.09.11伊豆大島グルメ伊豆大島大島牛乳伊豆大島酪農酪農ご当地牛乳ぷらっとハウス伊豆大島観光執筆:株式会社bliss(レンタカー事業)

大島牛乳は、一度なくなっている。


はじめに|今ある一本は、ずっとそこにあったわけではない。

伊豆大島で見かける、

「大島牛乳」。

今では島を代表する商品の一つですが、

実は、

大島牛乳は、一度島から姿を消しています。

そして翌年、

再び始まったときの乳牛は、

わずか5頭でした。

でも、この話の始まりは2007年ではありません。

もっと昔、

牛乳を搾るためではなく、塩を運ぶために牛が島へ渡った時代

まで遡ります。


1|伊豆大島に、なぜ「大島牛乳」がある?

海。

三原山。

火山がつくった黒い大地。

伊豆大島と聞いて、

最初に「酪農」を思い浮かべる人は、

今ではそれほど多くないかもしれません。

でも現在も大島では、

島内で育てられた乳牛の生乳から、

大島牛乳

が作られています。

では、

火山島の大島で、

なぜ牛乳文化が育ったのでしょうか。

その理由を辿ると、

少し意外なところへ行き着きます。

**大島の牛の歴史は、

牛乳から始まったわけではありません。**

最初の牛たちには、

別の仕事がありました。


2|牛乳の歴史は、「塩を運ぶ牛」から始まった

昔の伊豆大島では、

現在のように水を自由に使える環境ではありませんでした。

火山由来の地面は水が染み込みやすく、

水田を作ることも難しかったとされています。

そのため江戸時代には、

米の代わりに塩を年貢として納めていた時期がありました。

塩を作るには、

海水を運ぶ。

薪を運ぶ。

できた塩を港へ運ぶ。

人の力だけでは大変な仕事です。

そこで、

伊豆半島から牛や馬が島へ連れてこられ、

運搬を助けるようになりました。

つまり、

牛は、牛乳を搾るために島へ来たわけではなかった。

最初は、

島で暮らし、

塩を作るための働き手でした。


その塩づくりをさらにたどると、水田を作りにくかった火山島の地質と、水をめぐる暮らしへつながります。

「火山島の水と暮らしの歴史を読む」


その後、

時代とともに牛の役割も変わっていきます。

明治時代には肉牛の生産が行われ、

そして1900年頃、

大島へホルスタイン種が導入されました。

ここから、

大島の牛の歴史は、

「働く牛」から、

「乳を搾る牛」

へ大きく変わっていきます。


3|かつて大島は、「ホルスタイン島」だった

1900年頃にホルスタインが導入されると、

伊豆大島の酪農は大きく広がっていきました。

大正時代には、

家庭で乳牛を飼うことも珍しくなかったとされています。

そして、

1926年頃。

大島で飼われていた乳牛は、

約1,200頭。

今の大島からは、

少し想像しにくい数字かもしれません。

三原山や海、

火山島ならではの景色で知られる大島に、

かつて1,000頭を超える乳牛が暮らしていました。

当時の大島は、

「ホルスタイン島」

さらに資料では、

「東洋のホルスタイン島」

と呼ばれるほど、

酪農が盛んな島になっていました。

牛乳だけでなく、

バターなどの乳製品も生産され、

大島にとって酪農は大きな産業になっていきます。


大島で酪農が広がった背景には、温暖な気候の中で明日葉などの青草が育っていたことも関係しています。今では特産品として知られる明日葉も、昔の島では人の食卓だけでなく、牛のいる暮らしともつながっていました。

「昔“あしたぼ”と呼ばれた大島の明日葉を知る」


つまり、

今売られている大島牛乳の背景には、

数頭の牛から始まった小さなご当地牧場ではなく、

かつて“牛の島”だった伊豆大島

があります。


4|2007年、大島牛乳が島から消えた

一時は約1,200頭もの乳牛が飼われ、酪農の島として知られていた伊豆大島。

しかし、その規模は少しずつ小さくなっていきました。

牛乳の消費量の減少や、大手メーカーとの価格競争など、島の酪農を取り巻く環境も変わっていきます。

そして、

2007年2月。

島で牛乳やバターを製造していた工場が閉鎖しました。

当時残っていた乳牛も売却され、

大島牛乳は、一度店頭から姿を消します。

今、大島で普通に見かける黄色いパックの牛乳が、

ずっと途切れることなく残ってきたわけではありません。

塩を運ぶ牛から始まり、

100年以上にわたって続いてきた大島の酪農。

その流れが、

ここで一度途切れました。

でも、

それで終わりではありませんでした。


5|翌年、わずか5頭からもう一度始まった

大島牛乳が姿を消した翌年。

2008年、

島の酪農を残そうとする地元の人たちが動き始めました。

そして、

もう一度酪農を始めるために集められた乳牛は、

わずか5頭。

かつて約1,200頭の乳牛がいた島が、

5頭から再出発したことになります。

最初から以前のような規模へ戻ったわけではありません。

まずは、

大島の牛乳を使ってきた牛乳煎餅などへの生乳供給から再開。

その後、

牛の頭数や生産が少しずつ安定すると、

学校給食への提供、

そして一般販売へと広がっていきました。

ここで大切なのは、

大島牛乳が、

観光客向けの「ご当地商品」としてだけ復活したわけではない

ということです。

お菓子を作る人。

学校で牛乳を飲む子どもたち。

島で暮らす人たち。

もう一度、

島の日常の中で必要とされたから、

大島牛乳は戻ってきました。

**約1,200頭の時代を知る島が、

5頭からもう一度始めた。**

その続きが、

今の大島牛乳です。


大島牛乳とはまったく違う食べ物ですが、島の暮らしの事情から生まれ、今まで受け継がれてきた食文化には「くさや」もあります。独特の匂いだけでは分からない、その背景にも島の歴史があります。

「くさやの匂いに隠れた島の事情を知る」



6|今の大島牛乳を、島で一本飲んでみる

そうして戻ってきた大島牛乳は、

今も伊豆大島で作られています。

現在の大島牛乳について、

旅行前に覚えておきたいことは、

たくさんありません。

まず、

牧場と牛乳を製造する工場が近いこと。

島で搾られた生乳が、

近くの工場へ運ばれて牛乳になります。

そして製造では、

75℃・20分の高温保持殺菌

が採用されています。

さらに面白いのが、

大島牛乳は一年中、

まったく同じ味に感じるとは限らないこと。

牛の状態や餌などによっても変わりますが、

生産者からは、

夏は比較的さっぱり。
冬はより濃く感じられる。

という話もあります。

だから、

大島で大島牛乳を見つけたら、

難しく考えず、

まず一本、飲んでみる。

それで十分です。

そして、

違う季節にまた島へ来たら、

もう一度飲んでみる。

「前に飲んだときと、少し違うかな?」

そんな小さな比較も、

旅の楽しみになります。


大島牛乳以外にも、伊豆大島にはべっこうや明日葉、くさや、島の魚など、土地の暮らしとつながった食があります。大島へ行ったら何を食べようか考えている方は、島のグルメ全体から探してみてください。

「伊豆大島で食べたいものを探す」


伊豆大島の牛の歴史は、

牛乳から始まったわけではありません。

塩を運ぶ牛として島へ渡り、

やがて、

1,000頭を超える乳牛が暮らす島になった。

その牛乳は、

2007年、

一度店頭から姿を消しました。

それでも翌年、

5頭から、もう一度始まった。

今、

大島で大島牛乳を見つけたら、

そんな時間を少しだけ思い出して、

一本飲んでみてください。

**今飲めること自体が、

大島牛乳の物語です。**


島の中で牛乳が作られていることの意味を、意外な場面で感じることもあります。伊豆大島で育った筆者には、台風で船が止まったあと、スーパーの牛乳売場に大島牛乳だけが並んでいた記憶があります。

「台風の日に見える“島で暮らす”ということを読む」


この牛乳を飲みに、大島へ。

大島牛乳を一本飲んでみる。それも、伊豆大島を知る小さな旅の一つです。

旅行日程や島内の移動に迷ったら、blissのLINEからご相談いただけます。

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参考資料
伊豆大島ジオパーク
東京都地域資源関連資料
東京都島しょ振興公社「東京愛らんど」等

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